2020年・母の日は5月10日(日)。亡き母には「白いカーネーション」

母の日

亡き母には「白いカーネーション」は、商業主義が決めた?

亡き母に白いカーネーションを贈るのは、母の日の起源を作ったアンナ・ジャービスが意図したわけではありません。
「母の日」の感謝と祝いに便乗した花卉(かき)産業の商業主義が決めたことなのです。

花卉(かき)産業は白いカーネーションの価格を引き上げ続け、さらに花の需要を満たすように赤いカーネーションを導入したのです。そして、赤いカーネーションが生きている母に、白いカーネーションが亡き母に贈られるようになったのです。

アンナ・ジャービスは、母への感謝が商業主義の利益優先になることには反対でした。そのため、花卉産業などは潤いましたが、彼女の晩年は経済的困窮に陥ったということです。

カーネーションの色別の花言葉

「カーネーション」の花言葉は「無垢で深い愛」。

赤いカーネーション「母への愛」
白いカーネーション「純粋な愛」「私の愛は生きています」
ピンクのカーネーション「女性の愛」「美しいしぐさ」
紫のカーネーション「誇り」「気品」
青いカーネーション「永遠の幸福」
【要注意】黄色いカーネーション「軽蔑」

(https://lovegreen.net/languageofflower/p24321/)

「母の日」の起源とアンナ・ジャービス

アンナ・ジャービスの母アン・ジャービスの死後2年経った1907年5月12日。
アンナ・ジャービスは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会を開きました。その時、彼女は白いカーネーションを参加者全員に手渡しました。

これが「母の日」の起源となりました。

私と妻の母は、すでに亡くなっていますので、直接感謝の気持ちを伝えることはもうできません。
せめて、仏壇なり墓石の前で手をあわせる時、白のカーネンションと一緒に カーネンションの香りのお線香を焚こうと思っています。

アンナ・マリー・ジャーヴィス

アンナ・ジャービス©ウィキメディア

アンナ・マリー・ジャーヴィス
「母の日」の創設者。1864年5月1日〜 1948年11月24日。

今日、彼女の生誕地はアンナ・ジャーヴィス・ハウスとして知られています。1979年以来、国家歴史登録材(National Register of Historic Places)のリストに載せられています。

母親アン・ジャーヴィスは社会活動家で、母の日ワーク・クラブ(Mothers’ Day Work Clubs)の創設者。アンナ・ジャーヴィスは、こう述べています。

わたしは希望し祈ります。だれかが、いつか、あらゆる生活分野で人類に比類のないサーヴィスを与えてくれる母を記念する「母の日」。母親には、それを受ける権利があります。
—アン・リーヴス・ジャーヴィス—

そんなアンナの母親アンは、1905年5月9日に死亡しました。

母の日にむけての運動

母の死後3年、1908年5月10日に、アンナ・ジャーヴィスは、ウェスト・ヴァージニアのグラフトンで自分の母とアンドリュースメソジスト監督教会、こんにちの『国際母の日シュライン』のすべての母をたたえる記念式を催し、母の日の最初の公式の儀式を行いました。

ジャーヴィスはこの礼拝に出席しなかったけれども、彼女は、礼拝の出席者全員のために500の白いカーネーションのみならず、母の日の重要性を記述する電報を送りました。

また、彼女はフィラデルフィアのワナメーカーズ・ストア・オーディトリアムで話しましたた。

カーネーションの白さは母の愛の真実、純粋、広い慈善をシンボライズします。その匂い、彼女の記憶、そして彼女の祈り。カーネーションは花弁を落とさず、それが枯れる-die-時その中心-heart-にそれらをくっつけ、そのうえ、母は子を胸-heart-に抱きしめ、母の愛は決して死-die-なない。わたしがこの花を選んだ時、わたしは白いセキチクの母のベッドを思い出していました。
—アン・リーヴス・ジャーヴィス—

白と赤のカーネーション。商業主義との戦い

アンナ・ジャーヴィスは、母の日のメッセージを圧倒する商業化の力と戦いました。菓子、花卉、グリーティング・カード産業などとの戦いです。彼女が繊細さゆえに評価した白いカーネーションは、シンボルとして容易に商品化されました。

1920年代までに、花卉(かき)産業は白いカーネーションの価格を引き上げ続け、それから花の需要を満たすように赤いカーネーションを導入したのです。
赤いカーネーションが生きている母を、白いカーネーションが亡き母に送るようになったのです。

印刷されたカードは、あなたがあまりに怠惰で、世界でだれよりもあなたのためにしてくれた女性(母親)あてに書くことができないということ以外の何も意味しません。そしてキャンディー!あなたは母親にひと箱、取って – それから大部分は自分で食べるのです。かわいらしい感情。
—アン・リーヴス・ジャーヴィス—

彼女はこれらの商業的な力にこ対抗し、白いカーネーションの、より短命な代替物として母の日のエンブレム・バッジを作りました。

アンナ・ジャーヴィスの死

アンナ・ジャーヴィスが母の日のもともとの意味にしがみつこうとする努力は、彼女自身の経済的困窮につながりました。商業主義の業界は母の日から利益を得ましたが、ジャーヴィスはそうしなかったのです。

アンナ・ジャーヴィスは1948年11月24日に死亡し、ペンシルヴェニア州ベラ・カヌイドの、フィラデルフィア近くの、ウェスト・ローレル・ヒル・セメタリーで、母、兄弟、姉妹のとなりに埋葬されました。

(『ウィキメディア』より)

終わりに

母の日を作ったアンナ・ジャービス。「母の日」に贈られる白いカーネーションと赤いカーネーションには、商業主義との戦いがあったとは知りませんでした。

しかし、アンナ・ジャービスには不本意だったにせよ、母に感謝する「母の日」のメッセージは、彼女の感謝の思いが今までしっかり伝わっていると思います。

たとえ、商業主義のためになったとしても、母に感謝する「母の日」。赤いカーネーションが生きている母に、白いカーネーションが亡き母に贈るのは、よい習慣だと思います。

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